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Re:井原東洋一様へ ルンビニの日本山妙法寺の佐藤です。 佐藤さまへのお返事。井原。

懐かしいお便り誠に有難うございます。昨年ルンビニを訪問の節は、大変お世話になりました。平和の種まきに全身全霊を注いでいらっしゃる事に心の底から敬服しております。昨年8月8日には、長崎県宗教者懇話会(野下千年カトリック神父)の皆さんの招きにより、トルコからイスラム教の責任者たち9人が長崎を訪れ、爆心地公園で、各宗派の宗教者と共に平和の祈りを捧げ、交流を深めてお帰りに成りました。次いで11月には、長崎諏訪神社の宮司以下巫女2人を含む4名と、浄土真宗の門徒9名が、再びトルコを訪れて、イスラム教会の中で、諏訪の巫女たちが「浦安の舞」を雅に舞いました。平和のための小さな努力ですが、大きな成果だったと思います。私は、明日、玄海原子力発電所廃炉を求める裁判の原告団の一員に加わり裁判所に提訴いたします。2月2日には福島県庁、3日には石巻市役所を訪ねます。2月7日には、福井県大飯町を訪ねて、原発政策を視察し、4月22日からスペインのゲルニカを訪問。無差別攻撃75周年の悲劇の日に長崎原爆の語り部として、平和の尊さを訴えます。共に元気で平和のためには、進んで捨て石の役目をはたしま しょう。長崎市議会議員 井原東洋一。  南無妙法蓮華経 ルンビニの日本山妙法寺の佐藤です。 御無沙汰いたしておりました。 昨年の震災より、今に至るまで、未だ終息しない、先の見えないこの状況を前にして、 佛弟子として、何をなすべきかと自問した時に、やはりこの混沌とした闇を祓う為に、 そして命の存亡の危機に苛まれている劫火を止めるために、日本全国を祈り歩く誓願を立てさせて頂きました。 我々の祈りが叶うかどうかはわかりません。それでも、各々地域の方々の思い、祈りを 背負い、それを祈りによって数珠繋ぎに紡いでゆき、そして何時の日にか大きなうねりとなってくれる事と願っております。 たとえ、一日でも、一時間でもかまいません。共に祈り歩いてください。 歩けなくてもかまいません。我々と共にいて下さい。 お願いします。 昨年に引き続き、今年の命の行進2012を始めます。 ここにお知らせ申し上げます。 皆様には重複にて失礼します。 合掌 佐藤拝 命の行進 2012 2月4日東海原発出発〜ビキニ行進〜3月3日浜岡原発 3月11日 福島から日本全国の原子力発電所を巡り、 8月6日(広島原爆平和祈念日)平和公園到着。 南無妙法蓮華経   「人類世界は今や大いなる転換期に直面しております。 物質文明から精神文明へ 科学文明から宗教文明へ 殺人国家群から不殺生戒へ 暴力と強制の鉄鎖から奉仕の社会制度へ 条約法規の拘束から仏陀神明の禁戒へ 西洋文明から東洋文明へ 轟々と大音声をたてて、天地を鳴動し、急速度に転換しつつあります。」                                    藤井日達聖人 今、我々はごうごうと大音声をたてて、天地を鳴動する巨大な動きの中に居るのかもしれません。その動きは余りにも大きく、遠すぎて、恐怖心さえ感じられるかも知れません。  しかし、それは長い長い冬が終わりやがて春の訪れがある様に、雪解けの水が春先の草木を育んでくれる様に、我々人類が明るい未来へ紡いでゆく希望の光とも考えることが出来ます。
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「長崎くんち」片渕4・5丁目神輿守 第1回常任委員会で始動。

380年近い歴史を持つ鎮西大社・諏訪神社の秋の例大祭「長崎くんち」は、10月7日〜9日に催行される。神事の渡御(お下り)と還御(お上り)を担う「神輿守」が、6年ぶりに巡ってくる。神輿は、諏訪宮、住吉宮、森崎宮の3体であり、担ぐグループが決められている。我が町のグループは、片渕3・4・5丁目で、今年は最後尾の森崎宮を担ぐ。先頭の諏訪宮は、片渕1・2丁目、夫婦川町、木場町が担当し、中の住吉宮は立山1丁目〜5丁目が担う。このグループの時は特別に「片渕神輿」と称されているように、神々を担ぐ男たちの気迫と勇壮さが語り草と成っている。神輿守委員会の委員長(井原東洋一前会長から白川忠浩会長へ交代)、副委員長4名、うち1名は宰領(安田清春宰領から田川勝宰領へ交代)及び、総務部長など留任する役員を含む三役は、先決されており、29日の第1回常任委員会は、三役推薦により、資材部、技術部、会計部、女性部、監査の各担当役員と部員が招集され、参与及び相談役と共に任務分担が承認された。幸いに、全員出席であった。 近いうちに、三役は過去の慣わしを参考にして、神輿杖、脇添、本方、道中、加勢人を選定する。本格的な練習開始は、6月1日の小屋入りだが、既に個人の体力作りは始まっている。この様にして伝統が引き継がれていく。 長崎市議会議員 井原東洋一
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「長崎くんち」片渕4・5丁目神輿守 第1回常任委員会で始動。

380年近い歴史を持つ鎮西大社・諏訪神社の秋の例大祭「長崎くんち」は、10月7日~9日に催行される。神事の渡御(お下り)と還御(お上り)を担う「神輿守」が、6年ぶりに巡ってくる。神輿は、諏訪宮、住吉宮、森崎宮の3体であり、担ぐグループが決められている。我が町のグループは、片渕3・4・5丁目で、今年は最後尾の森崎宮を担ぐ。先頭の諏訪宮は、片渕1・2丁目、夫婦川町、木場町が担当し、中の住吉宮は立山1丁目~5丁目が担う。このグループの時は特別に「片渕神輿」と称されているように、神々を担ぐ男たちの気迫と勇壮さが語り草と成っている。神輿守委員会の委員長(井原東洋一前会長から白川忠浩会長へ交代)、副委員長4名、うち1名は宰領(安田清春宰領から田川勝宰領へ交代)及び、総務部長など留任する役員を含む三役は、先決されており、29日の第1回常任委員会は、三役推薦により、資材部、技術部、会計部、女性部、監査の各担当役員と部員が招集され、参与及び相談役と共に任務分担が承認された。幸いに、全員出席であった。
近いうちに、三役は過去の慣わしを参考にして、神輿杖、脇添、本方、道中、加勢人を選定する。本格的な練習開始は、6月1日の小屋入りだが、既に個人の体力作りは始まっている。この様にして伝統が引き継がれていく。長崎市議会議員 井原東洋一
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東部地区にこにこセンター。漸く開所。

日見、矢上、古賀、戸石地区の総合的な行政、市民活動などの支援拠点として建設が待望されていた施設が、漸く完成し、1月29日に開所式典が行われた。日見地区に次いで、昭和38年に長崎市に編入した東長崎町だったが、48年振りとなる。東長崎支所、東公民館が発足してからでも40年が経った。都市改造に数百億円を投じて、区画整理が進められ、4万人を超える地区にしては、必須のコミュニティ施設の整備が、むしろ遅きに失したと言える。 今回完成した「にこにこセンター」は、昔からの役場跡地に設けられていた東長崎支所、東公民館、中央消防署東長崎出張所を取り壊し、一部隣接市民のご協力により、面積を拡大して、総合的な拠点が実現した。新しい施設は、東長崎支所、東公民館、子育て支援センター、500人規模の多目的ホール、図書室、調理研修室、和・洋の数多くの研修室が備えられ、駐車場も38台が収容可能である。 市内でも若い世代が多い東部地区の益々の発展が期待される。 長崎市議会議員 井原東洋一
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新大工町青年部に勢い。頑張れ東部地区商店街の雄。

長崎市新大工町青年部(中島秀嗣部長)の新年会に出席した。青年たちの若い力にたくましい勢いが感じられた。商店街振興組合(古賀重朗理事長)の指導のもとに、町の活性化を担う主役としての自覚が芽生えていることは嬉しい。現在の青年部メンバーの親世代から商店街顧問に任ぜられている私としては、若い力の台頭が待ち遠しかった。いま、宅配事業の安定的な継続を模索し、高齢者向けの新たなサービス開始を目論んで、地域ニーズに応えようとする積極性や、長崎玉屋を含む周辺の再開発への検討意欲などが肌に感じられ、25年前に当時の青年部長だった若き日の古賀重朗理事長の積極性に重なる。生気が旺盛に成った商店街を発展させる鍵は、青年たちが握っている。行政支援のメニュウを適切に選択し、東部地区最大の商業集積地として、大型店舗にはない温もりのある地域連帯の街にしたい。即実行に移す。 長崎市議会議員 井原東洋一
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長崎湊公園周辺の輝き。観光客は今ひとつ。

銅座川に架けられたランタンは、他の場所とは異なって、ピンク色である。件の中国人が買収したと言う「スターライトビル」の12階、スナック「チロリン村」から俯瞰する銅座川は素晴らしかった。そぞろ歩いて、主会場の湊公園を覗いて見たが、消灯に近い時間だったためか、観光客はまばらで、新地中華街も閑散としていた。土・日に期待がかけられるのかも解らないが、目標の集客数が達成出来るのだろうかと、いらぬ心配をしているうちに、一斉消灯で暗闇に置かれた。一瞬に視点を失い、せめて目印程度の点灯が残せないものかと思った。長崎市議会議員 井原東洋一

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「祝島島民の会」民主的で柔軟性に富んだ幅広い活動。「山戸貞夫さん」と語る。

「山戸 孝さん(34歳)」との対話は、多岐に亘った。やがて食事を挟んで、長崎から持参した世界ブランド「壱岐ゴールド」を酌み交わしながら、家庭内の事に至るまで、話し会った。彼は何度も「その話は父にお相手させたかった」と繰り返しながらも、30年間の運動の節目節目について、的確に伝えてくれた。親子間の絆と言うよりも運動の責任者である父「山戸貞夫」を適切にアシストしている事が伺えた。翌朝、この壮大な運動の責任者である「山戸貞夫さん(61歳)」を訪ねて親しく会話する機会を得た。「島民の会の団結の礎は何だろうか?」との疑問は、直ぐに解けた。島の歴史と伝統行事、防災、冠婚葬祭に至るまでの日常的な助け合い、新規の事業など将来への展望、全国の民主的な団体との連携、事ある毎の緊急な決起など、島の閉鎖性が逆に有利に生かされていた。 島根の大学を卒業し、その地での17年間に及ぶ活動経験を踏まえた、「山戸貞夫さん」は、10年を経た「愛郷一心会」を発展的に改組して、複数の運営委員会方式に発展させ、全員総会を取り入れた。中断した「神舞」を復活させ、原発推進派の漁協役員をリコールして「祝島漁協として反対決議」し、漁協長を担った。 「原発に反対する上関町民の会」や「長島の自然を守る会」などと緊密に連携し、原発予定区域内に共有地を確保し、立木トラストで抵抗し、裁判に訴え、予定地に「人々の集いの場」を創り、自ら町長選挙を戦い、10億8千万円の原発マネーを拒絶している。それだけではなく、農業、漁業の振興、練塀の町復興、文化的な施策等にも気を配り、「祝島1000年の島づくり基金」を設けて、エネルギー100パーセント自立を目指し、太陽光発電施設も動き出した。「明治大学 野生の科学研究所の研究員」として、山戸貞夫さんの挑戦は30年間の苦闘の実績を土台に更に続く。今、島には家族ぐるみの移住者もあり、お洒落な喫茶店も開店している。しかし、30年前、1300人だった人口は今、450人。小学生2家族4人、中学生1人(隣の島へ通学)。高齢化率75パーセントの祝島へ光が届くにはもう少し時間がかかる。 25日の祝島は猛吹雪の冷たい 朝だったが、昼頃には陽光が射していた。長崎市議会議員 井原東洋一
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「祝島島民の会事務局」の山戸 孝さんと3時間余の会話。

山口県上関町の祝島は、国東半島と四国佐田岬 を結ぶ三角形の一点に所在し、周防灘と伊予灘の合流地点で、豊後水道の黒潮を真正面に受け止める温暖の島である。びわ、みかん等の果物に、鯛やヒラメ、キスなど高級魚の宝庫でもある。歴史は千数百年もの昔に遡り、縄文遺跡や日本書記や万葉秀歌等にもその由来がみられている。殊に、山口県指定無形文化財「神舞」は1120余年もの昔から、4年毎に伝承されている伝統的な神恩感謝の祭事として名高い。 この平和な夢の島を、突然に災厄が襲った。中国電力(株)による「上関原発建設計画」であった。1982年6月29日に、中国電力(株)社長は、「上関町四代地区田ノ浦湾。集落から2.2キロの地に、150万平方メートルの用地を造成し、出力110万kWの原発2基の建設適地として、総事業費1兆円、昭和60年代後半の運開を目指す」と発表した。町長の誘致姿勢のなかで、11月9日に「祝島反原発組織・愛郷一心会」が発足。推進組織や漁協の推進派などとの厳しいせめぎ合いの中で、翌年2月27日には、町内反対組織「原発に反対し、上関町の安全と発展を考える会」が発足した。以来30年間に亘る激しい対決が続いている。町全体では、推進7割対反対3割、祝島では、反対9割対推進1割で推移してきた。利権との対立、利益誘導、差別、蔑視のなかで、各段階における各種の多彩な闘いへの動員、デモ行動は、枚挙に暇が無かった。骨肉の争い、親と子の離反、地域の分断、コミュニティの破壊などと数限りない困難に出会い、乗り越えてきた30年間の苦闘がある。福島が収束しない苦悩は、上関の近未来の姿を想起させ るが、推進派たちの反省は見られない。楽園であった祝島が、真の楽園を取り戻す日まで、闘いの手は一切緩める訳には行かない。療養中の闘士「山戸貞夫さん」は、30年史の企画書を纏められていた。山戸親子の献身的な苦闘は未だ未だ続く。高齢化率75パーセントの、「じいじ、ばあば達による毎週月曜日の反原発デモ」は、既に1130回を超えている。「もう習慣に成ってるから楽しいよ!」と笑ったおばあちゃんの皺が光っていた。長崎市議会議員 井原東洋一
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「祝島島民の会」事務局の「山戸 孝さん」に聞く。

「原発絶対反対」の大看板に迎えられ、祝島港から「はまや旅館」への途中、今回の会談の窓口を引き受けて下さった「祝島島民の会事務局の山戸 孝さん」に出迎えを受けた。思っていたよりも遥かに若かったのに驚いた。道すがら、出迎えを謝し18時からの会合を約束した。旅装を解く間もなく、予備知識も含めて質問事項を整理した。島の歴史、史跡、文化、面積、人口、産業、主な団体と組織、行政、教育、福祉、医療、観光などの施設、中国電力の建設計画、進捗状況、町民意志、島民意志、島の伝統行事、町長選挙、議員選挙、反対運動の組織と行動、団結の礎、日常活動、島起こしの事業、他の団体との連携など多岐に及んだ。18時きっかり彼は、他の人に差し支えがあったらしく1人で来た。昨年の上関町長選挙に出馬して残念ながら敗北した「山戸貞夫さん」が「島民の会会長」で彼の父であり、Uターンして島に住む彼もまた、5年前の町長選挙に30歳で立候補したと聞き、並々ならぬ親子の闘魂に息を飲んだ。長崎市議会議員 井原東洋一
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柳井港から室津、上関を経て祝島へ。70分間の船旅。

柳井港には、海上保安庁の啓発看板が立てられている。「未来に残そう青い海」と大書してあった。これから向かう祝島は、海と自然を決定的に破壊する「上関原発」建設反対のメッカである。国策の矛盾に苦笑しながら高速船「いわい」に乗船した。 柳井港〜室津〜上関〜蒲井〜四代〜祝島の定期航路は1日に2往復、半島と島沿いをなぞりながら進む。定員48名のところ、乗客は私を含めて6人。港を出ると直ぐに、折からの寒風で波頭は荒く白く砕けている。出航して30分。半島の室津と上関島を繋ぐアーチ橋の下をくぐり抜け、室津港へ、そして直ぐ対岸の上関港で2〜3人の乗降客があった。何とはなく、乗り合わせた祝島の高齢夫婦と語るうちに、ご主人が案内役に成ってくれた。蒲井、四代を過ぎると原発立地予定の海岸が近づいた。「ホラホラ見えてきた。黄色のブイがあるでしょう。あそこが温排水の出口予定場所です。でも、絶対に建てさせませんよ。広島にいる小学4年の孫でさえ『じいじい、原発は危ないからダメだよ!』と解ってる。中国電力は、何億もかけて上関に温泉施設を作ったりしてるが、絶対に騙されん」と明快であった。祝島の隣の小島「小祝島」を指して、「あれは私個人の持ち物ですが役にたたん」と漏らすなど訥々ながら、内容豊かであり、祝島に下船すると、宿泊予定の「はまや旅館」まで案内して下さった。通りすがりの人々は、皆挨拶を交わし親切さが伝わってきた。長崎市議会議 員 井原東洋一
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