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「チェ・ 39歳別れの手紙」を観る。 [映画]

チェ・ゲバラ「28歳の革命」の姉妹編 「チェ 39歳の別れの手紙」を観た。

1959年1月、フィデル・カストロとともにキューバ革命を成功させた

チェ・ゲバラは、アルゼンチン人ながら、「生まれながらのキューバ市民」

と同等の権利を与えられ、国立銀行総裁、人民軍司令官に任命され、

カストロの信頼のもとに、農業改革に着手し、工業化計画などを推進する

ための参考に、日本など先進工業国にも訪れた。

しかし革命成功の直後から、キューバ革命をまだ社会主義革命だと

考えていなかったカストロと、純粋なコミュニストのチェとの国家建設の

思想に、微かな隙間が生じていたのかもしれない。

農業国から工業国への発展を目指すチェの政策は、純粋な思想と

絶対的に完全な献身性にもかかわらず、計画倒れになるものも多かった。

革命から6年が経ち、一応の落ち着きをみた1965年3月下旬、

チェは工業省の9階にある自分の部屋で「別れの手紙」を書いた。

ハバナ 農業の年 フィデルへ・・・ カストロに対する最大の親愛と

信頼を込めながらも、自らキューバを去って新しい戦場に向かう事が

「キューバ革命」のために最善の道であることを信じて、

「永遠の勝利まで。祖国か死か。」と結んだ。(参考・チェ・ゲバラ伝・

三好 徹)

映画は、チェのその後、ボリビアにおいて、チェが指揮し、自らゲリラ戦

の先頭に立ち続け、激しい戦闘の中での裏切りをも克服しながらなお、

理想社会を目指す精神性の美しさが内面描写されていた。

「祖国か死か」彼はボリビアの地で命を奪われた。

それから30年後に、偶然発見された遺体は、いま、最高の同志カストロ

の手によって、サンタクララの丘の広大なゲバラ聖廟に安置され、

生き続けている。

革命50周年を祝う今年のキューバメーデーに参加し、9年振りで

サンタクララの聖廟に、大ファンだった亡妻和子の写真を携え、

チェ・ゲバラに接する喜びを指折り数えている。

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