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今日、75歳の誕生日。4分の3世紀を生きる。わが日常に悔いなし。

1936年(昭和11年)3月9日生まれ。ねずみ年。水呑み百姓井原家の次男で、姉4人、兄1人の6人兄弟姉妹の末っ子。すぐ上の兄とは7歳違い。父56歳、母48歳で誕生。「日暮らしっ子」と呼ばれて育つ。1942年4月、西彼杵郡矢上村立矢上国民学校入学。1945年8月、4年生で原爆被爆。1948年、矢上小学校第1回卒業生。首席で矢上村立矢上中学校入学。1951年矢上中学校を首席で卒業。長崎工業高等学校首席入学。1952年12月、母死去(64歳・原爆症?)。1954年3月、長崎県立長崎工業高等学校電気科卒。長工高卒業生総代。4月九州電力(株)入社、通信部門に勤務。1957年20歳で19歳の和子と結婚、3男0女。1958年、全九州電力労働組合結成参画。分会、支部、本部役員を経て、30歳で本部書記長3ヶ年。1969年長崎県本部委員長。長崎地区労副議長11ヶ年。長崎県地方労働委員6ヶ年。日本社会党支部、総支部書記長を経て、長崎県本部総務部長23ヶ年。1987年4月長崎市議会議員初当選以来6期連続当選。片淵4・5丁目自治会長24ヶ年。1990年上長崎地区自治会連合会長15ヶ年。1996年新社会党結成、長崎県本部委員長。2004年2月、愛妻和子肺ガンで死去、67歳。2006年、長崎県被爆者手帳友の会会長。その他いろいろー。今にして思う。何故そんなに尖って来たのかと問い返す。おかしい事はおかしい。許せないものは許さない。我が人生は権力におもねず、自分に対しても常に厳しい闘いの連続であった。山登り、映画、読書、旅行など多趣味。詩吟は皆伝を認許さる。我が人生に全く悔いはない。未知への挑戦は続く。まだまだ4分の1世紀、100歳までには25ヶ年間も残っている。後期青年期に入ったばかりだから。お祝い下さった皆さん。有難う。  長崎市議会議員 井原東洋一
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吉岡栄二郎

戸石の歴史を調べている東京の美術史家です。
井原氏のページの中に「4年生で原爆被爆」とありますが、戸石村のどの辺で被爆されたかを教えていただけますか。戸石でも人体に影響がある線量であったとの学術論文があるので調べています。
ご返事いただければ幸いです。

吉岡栄二郎
by 吉岡栄二郎 (2012-10-27 11:08) 

toyoichi

吉岡栄二郎 様

コメントありがとうございます。
私の被爆地は戸石ではなく田中町の「薩摩城(さつまじろ)」
(現在の中尾ダム付近)でした。
爆心地から6.5キロメートルの場所の山の中でしたので、直爆
は避けられましたが、光と熱線と、爆風、耳をつんざく激しい音を
覚えています。
by toyoichi (2012-10-28 17:12) 

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