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原発は「戦争」だ!。事故対策は県行政を超えている。国の情報公開とスピード感が欲しい。 (報告2)

1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。米軍は、広島市にウラニウムを原料とする世界初の原子爆弾を投下した。

同年同月9日午前11時02分。米軍は世界初のプルトニウムを原料とする原子爆弾を長崎市に投下した。

アメリカは、原子爆弾の威力確認と世界への覇権を誇示する目的を果たしたのであろうが広島、長崎の市民20数万人が、一瞬のうちに命を失い、ほぼ同数の負傷者を生み、都市の機能は破壊された。

国策による無謀な戦争の犠牲となり、67年目を迎えている現在も、なお原爆症による死亡者が続いて、放射能の脅威に怯え、二世、三世への遺伝的影響の恐怖が今に残されている。

2011年(平成23年)3月11日午後14時46分、震度6強(M9.0)の、東日本大震災発生。

東京電力福島第1原子力発電所原子炉1、2、3号機自動停止(後に次々に爆発)。

広島、長崎が、その日その時を忘れる事が出来ないように、福島の人々も、この日この時を決して忘れはしないだろう。

いや、何れの日も世界中の人々が忘れてはならない。

「長崎を最後の被爆地に!」との叫びは、長崎の悲願であった。

しかし、福島の悲劇を防ぎきれ無かった事は痛恨の極みであった。

原発建設の背景には米国があり、日本政府が国策として推進してきた原子力行政により、「創られた安全神話」は、完全に破綻した。

原子力発電所で蓄積され続けるプルトニウムを、「潜在的核抑止力」と公言する政治家が現れるなど、まさに、国策による「現代の戦争」にほかならない。

その破綻の結末だけが地方自治体に押し付けられてはたまらない。

福島県の現地を訪ねて、福島第1原子力発電所から半径20キロメートル以内の区域に限らず情報の閉鎖性と、該当住民の保護や、社会基盤が整っていない中での、郷土への帰郷可能宣言など、政府の無責任さが露呈されている。

放射能の「除染」のまやかし、汚染廃棄物の処分の遅れなど、未解決の課題は山積している現実を知った。

「4号機が心配です」との主幹の心配が杞憂に終わる事を切に願った。

長崎市議会議員 井原東洋一

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