「花みずき公園」の花みずき 満開。 [季節]
管理できない空き家を土地ごと長崎市に寄贈されたスペースを、
地域の小公園などに活用する事業が、喜ばれている。我が町にも
「花みずき公園」がある。
昨年、開園の記念樹として、1本の「花みずき」を植えたが、
一年目は数える程だったのに、今年は樹勢も良く無数の花芽をつけ、
いま満開で美しい。
「花みずき」に特段の思い入れがあって植樹し、公園の題字を
田上長崎市長に書いて戴いたのだったが、これほど早く立派に
育つとは思っていなかったので、嬉しかった。
公園に遊ぶ4年生の良い子たちに「花より美しいね」と、お世辞
を言うと、ポーズをとる3人娘たちから「おじちゃん、それは褒め過ぎ
じゃない?」とあしらわれ、逆に「遊具が欲しい。2人で遊べるブランコ
を造ってよ」と具体的に陳情された。
「うん、よしよし」と孫との約束みたいに、簡単に受け入れてしまったが、
宿題は市役所のみどりの課にお願いする事になる。





和子桜満開。五家荘からの芝桜も。 [季節]
我が家の「和子桜」が満開である。
優しいピンクの八重桜を好んだので、植え付けて6年目。
その年から毎年暖かな花を見せる。
元気だった10数年も以前に五家荘の黒木さんから戴いて
移植した2種類の芝桜も元気な花を誇っている。
花々は土からエネルギーをもらって、毎年元気さを見せるが、
人は、和子は、浄土でどんな花を咲かせて居るのだろうか。
和子桜の小さな枝を仏壇に飾って、しばし対座した。





お彼岸墓参。ホッと一息入れて「大フロシキ展」へ。 [季節]
観善寺の大楠を見上げながら、大空に大きく広げた枝の下を
くぐり抜けると本堂である。
春季彼岸会には、諫早松恵寺住職 松尾 静美師が招かれており、
まだ昼過ぎなのに、1時半からの法要と法話を待っている人々の
姿が見える。
開け放たれた本堂の阿弥陀如来様に黙礼して、裏山の墓地に上った。
朝から弟夫婦がお参りしてくれたらしく、花に勢いが残っている。
石碑を洗い、いつものようにすぐ近くの義父母の墓にもお参りし、
過ぎし日々に思いをはせた。
長崎港は黄砂のため全体に紗がかかり、稲佐山も女神大橋もボケて
いて、何とも冴えない昼下がりであった。
しかし、半月も間を開けてしまっていた墓参を済ませたことで、
ホッとした気分を取り戻し、長崎県美術館の企画展「世界大フロシキ展」
に向かった。
道すがらのミモザの黄色と赤い葉が鮮やかな生け垣に春を受け止めた。





田の頭の枝垂れ桜。満開。 [季節]
波佐見町田の頭の一本桜。見事な満開。
流れる瀑布のようでもあり、湧き上がる雲のようでもある。
樹齢150年の樹勢を保つための枝切りで、昨年より枝垂れ
がやや疎らな感じながら、数え切れないほどのメジロが、
それこそ目白押しで花に戯れていた。
足元のレンギョウも一本桜を盛り立てている。





続・小鳥5態。 (4) [季節]
小鳥の種類は何だろう?ヒヨドリでもなさそう。
この鳥が緋寒桜で蜜を吸ってる所に、メジロが2羽やって来たが、
この鳥は激しい勢いでメジロを追っ払ってしまい泰然としていた。





今春初の大寒波。手水鉢も凍る。 [季節]
元旦も雪だったが、大寒を過ぎて昨日はこの春の最低気温を記録
したのではないのかと思われる寒さだった。
庭の手水鉢も固く凍っていた。昼過ぎまで雪が残り、南天の赤い実は、
同じ大きさの水玉をぶら下げて揺らしている。
山茶花のひときわ鮮やかなピンクが目に染みた。





ハルビンの「731部隊陳列館」王館長からの年賀状。 [季節]
中国ハルビンの「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の
王 鵬館長から、今年も親愛な年賀状が届いた。
王館長は、「岡まさはる記念長崎平和資料館」の招きで、
長崎には2回訪問されている。
私は、2005年1月30日~2月4日にかけて、
「岡まさはる記念長崎平和資料館」と、ハルビンの「731部隊
罪証陳列館」との友好館関係締結の予備協議の目的で、
中国共産党の責任者や、王 鵬館長と親しく会談した。
ハルビンには1泊の予定だったが、王館長の丁重で熱心な
もてなしを頂き、世界的に有名な「ハルビンの氷祭り」や
「二龍山公園」でのスキーなどに案内されて3泊になった。
この旅は、その外に、旧日本軍の残虐の歴史を自分の目で
確かめたい目的もあり、瀋陽の「9・18歴史博物館」、
撫順の「平頂山惨案遺址記念館」と「戦犯管理所」、
大連の「203高地」「水帥営会見所」などを視察した。
王館長はその翌2006年7月7日から開催した「731部隊展」
でのシンポジウムにパネリストとして再び来崎されたので、
今度は私が雲仙に招待し、時を忘れて飲み且つ語り合った。
王館長の豪放磊落ながら繊細な気遣いが嬉しい。



我が家の孫たち。明るい春。 [季節]
東京に住む長男の家族は、この春は帰郷出来なかったが、
福岡の次男、長崎市内に住む三男の家族8人が集まった。
孫たちの今年は、ただ1人の男性「大樹」=182センチメートル、
89キログラムの巨漢、が大学進学(推薦決定)、「歩」は高校3年、
「陽」は高校進学、「美沙樹」が中学3年を迎える。
お正月を東京で迎えた、長男の子「千晴」も高校3年生になる。
三男の長女「歩」は、昨年の春、ペルー、ブラジルを訪問し
「平和の旅」の大役を果たしたが、今年の春は空間デザインの
卒業制作のため、憧れの「パリへの旅」が予定されている。
このように大きくなった家族の母体から、和子ママが欠けている
のは寂しいが、あれから5回目の明るい新年であった。





一人で迎える五回目の新年。準備OK。 [季節]
04年2月に和子が亡くなって、5回目の新年を迎える。
何日も前からおせち料理をつくり、鏡餅を飾り、せき立てられて
掃除したり、書類の山を単に別の部屋に移動したり、屠蘇を
準備したりして、外で暮らす3世帯11人の家族を、二人して楽しく
待った子や大きくなった孫たちも、今や、「優しかったおばあちゃん
がいないお家」に、足が遠のくのは必然のこと。
逆に子どもの方から「年末から家にいらっしゃい」と車差し向けで
迎えてくれるのは嬉しい。
それでも、大晦日の夕刻までは、一人っきりの我が家で、何とは
なしにまごまごと過ごすのである。
書類の山はそのままに、年賀状発信も大半は未済のまま、姉や
姪たちが飾ってくれたお正月花に感謝し、庭先の山茶花や南天の
赤い実や水仙の芽だちなどを確かめて、「よし」と大きな決断でも
するように、ようやく仏前に座して「行って来るからね」と勿体
ぶって合掌し家を出るのである。
長男の奨めで始めたブログ発信も3年半で1、300回を数え、
アクセス数は38万数千件となった。
貴重なご意見を頂戴し、パソコン上で対話するなど、有り難く
思っている。
「平和、人権、環境、文化、労働、医療・福祉」をキーワードに、
社会正義の視点から今後も発信し続けたい。
皆さま、08年は大変お世話になりました。
09年を平和の幕開けにいたしましょう。
2008年12月31日。




