So-net無料ブログ作成

「長崎平和宣言」格調高く画期的と評価したい。「原子力に代わる」方針を明示。(8月9日) [原爆]

田上富久長崎市長の「平和市長としての姿勢」が、漸く定まったのかな?と評価すべき「平和宣言」

であった。

将来にわたって正しく評価されるべく磨き抜かれた「画期的な宣言」となった事を喜びたい。

起草委員各位の、先見性と粘り強いご努力と事務当局に感謝したい。

言うまでもなく、広島と長崎から原爆の日に発信される「平和宣言」は、全世界が注目している。

特に今年の「平和宣言」の内容については、福島第1原子力発電所の爆発事故が発生し、5ヶ月

経っても収束の兆しが見えず、制御不能の事態が続いており、空気、水、土、地下水、海洋、動植物、

水棲生物、魚介類、肉牛、乳製品など、人と物への直接被害はもとより、内部被曝のリスクを世界中に

撒き散らしている危険性の中で、「原子力発電」に対して、被爆都市の市長として、どの様な姿勢を示すか

が注目されていた。

当然にも、広島市長と長崎市長は最初から比較して報道された。

我々長崎の被爆者5団体は、いち早く「脱原発」の方針を打ち出し、国、県、市へ申し入れた。

「長崎を最後の被爆地に!」と世界中に訴えてきた経過と責任から、福島の被曝は、広島、長崎の原爆

被爆の深刻さと変わりはなく、長期の苦悩を共有しなければならない感覚から、明確なメッセージの発信を

求めてきた。

しかし田上市長は、宣言文起草委員会や小委員会での支配的な意見に耳を貸さず、原爆と原発を自分の

意識の中で区別し、「二者択一では思考停止になる」、「事故したからと言って車は簡単には手放せない」、

「開発途上国への原子力発電輸出の問題もある」、「非核宣言自治体の中には、原発が立地している所

もある」、「エネルギー政策は広島、長崎だけが背負うべきものではなく、国民全てのテーマだ」、

「過去の平和宣言で平和利用を容認した経過もある」、「結論を急がず、議論の過程が大切」、

「一市長の責任ではなく世界的な課題」(何れも報道からの引用)などと、一国の首相のように自己に

過大な責任を背負い込んで躊躇を重ねた。

「国に対する都市の責任と機能を果たすべき平和都市の副会長」や「非核宣言自治体協議会の会長」

としての責任と、幾つかの国際団体や国から平和推進に期待して平和賞を与えられている事を忘れた、

あるまじき逡巡であった。

煮え切らない田上市長に被爆者団体は苛立っていた。

しかし結果は、広島市長が、「脱原発」を避けて、平和利用の意見と両論併記した曖昧さに比べて、

「原子力に代わる」の重要な一言で、福島の被曝者に寄り添った長崎の平和宣言は明快であった。

ただ心なしか演台の市長は青ざめていて「発言に勢いが感じられなかった」との批評も数多く聞かされた。

「終わり良ければすべて良し」では済まされない。

いままさに「脱原発方針」がスタートしたばかりである。漸く被爆都市の市長としての正論の前に、

口を開いた田上長崎市長の責任を市民が全力を挙げて支えなければならない。

かつて、被爆50周年に新任直後の伊藤一長前長崎市長が、国際司法裁判所で「原爆の使用は国際法

違反である」と発言するまでには、二転三転どころか六転した。

結果は正論に到達し、彼は国際的に認められる「平和市長」へ脱皮した。

この時も、土山秀夫先生(現名誉市民)の存在が大きかった。

現実主義から「平和だけではメシは食えない」と力んで市長に当選した彼に、「平和でなければメシは

食えない」との真実を、国際的な舞台で確信させた当時の事を思い出す。

110807_1612~02.jpg091024_1226~00020001.jpg110807_1341~03.jpg110807_1342~01.jpg110806_1112~02.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

「長崎消息」座談会。福島原発爆発事故など、被爆者5団体代表活発に議論。 [原爆]

田上長崎市長の平和度が試される。

8月9日の平和宣言に、「脱原発」の方向性を世界に発信できるかどうかが注目される。

7月4日、雑誌「長崎消息」が主催した座談会で、長崎原爆被爆者5団体代表者が活発に

意見交換した。

まず、夫々の団体の生い立ちと活動の重点を出しあった後、主として「福島原発爆発事故」を

論点とした。その結果次の諸点について完全に意見一致した。

1.福島原発事故は人災であり、制御不能な事態は、世界中に核の恐怖を拡散し、

深刻な放射線被害を発生し続けている。

2.原発は核兵器と密接に結びついており、「平和利用」はまやかしである。核兵器保有国が

過去に深刻な大事故を起こしながら、「脱原発」を表明しないのは、何よりの証拠である。

3.被爆者5団体は「脱原発」の方針を明確に表明し、エネルギー政策転換を国に求める。

エネルギー浪費の生活様式変更は当然である。

4.原発関連の労働者と福島原発を中心とする地域のヒバクシャをこれ以上拡大しないよう

万全の対策と同時に、健康調査とその後の適切な措置を政府に求める。

5.長崎原爆被爆者は、自ら体験してきた、痛み、苦しみ、悩み、子や孫にまで及ぶ恐怖感、

いわれなき差別など、全てについて福島と連携する。

6.玄海原発運転再開を容認しないよう、佐賀県知事、長崎県知事、及び長崎市長にも文書で

申し入れる。

7.内部被爆による障害の深刻な事実は、被爆「体験者」の現状から明らかであるが、

尚今後の長期に亘る専門的な調査により、正確な知見として定着すべきである。

「教科書が無い」として「今のところ安全」などとの、その場しのぎは許されない。

8.長崎の被爆者5団体は「さようなら原発・1000万人アクション」に賛同し、呼びかけ人に

その名を連ねる。

9.「長崎を最後の被爆地に!」と訴え続けて来た長崎として、今年の「長崎平和宣言」には、

「脱原発」方針の明記は当然である。しかし、田上市長の念頭には「強力な放射線を発する

核兵器を市民の頭上に故意に落下させる非人道性」などと、正論ながらも、もってまわる表現で

「原爆と原発の相違」の強い意識が隠されており、被爆体験の無い市長の消極性には、

被爆者として、また「平和市長会議副会長」たる被爆地長崎の市長としての姿勢が問われる。

もしも、意図的に表現を弱め、避ける様であれば、被爆者団体として、何らかのアクションを

起こさなければならない。

大要以上の通り合意した。

110704_1734~01.jpg110704_1735~01.jpg110625_1117~02.jpg100507_0000~0001.jpg
100504_2229~0001.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

トルコ共和国における「原爆展」の成果を長崎市長へ報告。(19) [原爆]

トルコ共和国での原爆展のうち、「アンカラ会場の開会式」を無事に終わり、

21日(木)10時15分から三角住職(団長)と被爆者手帳友の会の4人が揃って、

田上富久長崎市長と会談し、市長から託された「メッセージ」を開会式で読み上げて、

出席された皆さんに伝え、大使館に差し上げると共に、被爆体験を語るなど与えられた

役割の結果を報告した。

このほか、高校生平和大使による2ヶ所の学校訪問と交流への発展、及び長崎県

宗教者懇話会役員と、イスラム教の長老たちとの会談が、お互いに平和を基礎として

友好的な交流関係を深め合う端緒が開かれるなど、想像を遥かに超える成果と

反響であった事を伝えた。 

中東地域では初の原爆展だったので、若干の心配があったが、在トルコ日本国特命

全権大使田中信明様と長崎市妙行寺住職・三角紘容様のご努力により、受け入れ、

設営、運営、訪問先との各種の調整、マスコミ対応、移動やホテル対策など万端に

行き届いたご支援を頂いた。

妙行寺三角住職を団長とする一行18名のうち、長崎県被爆手帳友の会(井原東洋一会長)

の会長以下、中村キクヨ副会長、井黒キヨミさん、倉守照美さんの4名は、外務省軍縮不拡散・

科学部長 宮川眞喜雄様から「非核特使」に委嘱され、特別任務を与えられていたため、

所要の任務を終了したことも併せて報告した。

田上富久市長からは、一同の苦労を労い、「チーム長崎として平和推進のために、大きな

お仕事をされました」と評価の言葉を頂いた。

また、私からは、大変お世話になった田中信明特命全権大使から「イスタンブール会場の

開会式にも、ぜび被爆者に出席してほしい」と強く要望されたことを申し添えた。

長崎市議会議員 井原東洋一

------_----~0192.jpg------_----~0173.jpg------_----~0209.jpg------_----~0203.jpg------_----~0211.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」開催の御礼。 [原爆]

トルコにおける「日本年」記念行事の中に、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を組み込んで

いただき、私たち被爆者などが参加して、トルコ国民に直接その惨状と世界平和を

発信する機会を与えて頂いたことは、中東地域で初めての開催であるだけに、

まさに画期的なことであり、田中信明特命全権大使様のご英断に心から感謝いたします。

また、私たち被爆者、高校生平和大使、諸宗教者のそれぞれに、トルコ国民との貴重な

接点の場を設けていただき、何の不自由もなくそれぞれの団体の役割を効果的に

発揮できました事は、田中大使様をはじめ大使館員皆様が心血を注がれて、万端の諸準備を

整えていただいたご尽力のお陰であり、各種メディアの報道にも驚きました。

アンカラで成果を収め、イスタンブールでの締めくくり行事として、平和推進に資することを

念願しています。

本当にありがとうございました。

長崎県被爆者手帳友の会

会長 井原東洋一。

------_----~0157.jpg  ------_----~0188.jpg
------_----~0183.jpg  ------_----~0189.jpg
------_----~0195.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

「菅 直人首相!。言葉の遊びは許しません」。首相発言の軽さ!に意見。9日、長崎の被爆者5団体。 [原爆]

8月9日 被爆65年目の長崎原爆の日が巡ってきた。この日長崎は台風の影響で、

不順な天気となり朝から晴れていたのに、一寸、パラつくなど心配されたが、運良く

「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の時間帯だけは好天に恵まれた。

平和公園での式典には、核保有国の英、仏代表が初めて参列し、ロシア、パキスタン、

実質的保有国のイスラエルなど32ヶ国からの参加があったが、米国は参加しなかった。

田上市長は平和宣言で、核軍縮に消極的な核保有5ヶ国を名指しで厳しく批判し、

日本政府には、日・印原子力協定を容認せず、「非核三原則の法制化」を求め、

アメリカの「核の傘」に頼らない「北東アジア非核兵器地帯構想の実現」にリーダーシップの

発揮を要望した。

また長崎市は、潘基文(パン・キブン)国連事務総長が提唱している「核兵器禁止条約」を強く支持し、

核不拡散・軍縮教育に貢献することを誓った。

菅 直人総理大臣は、広島とほぼ同様の挨拶を行ったが、12時半からは、「ホテルニュー長崎」で

被爆者5団体との懇談がセットされていた。

被爆者団体は、この日のために、要望内容を何回も協議し、会談で読み上げるダイジェスト版まで

準備していたが、広島での記者会見でさらけ出された「核による抑止力依存姿勢」に対して、

会談前から「菅首相の二枚舌だけは許さない」空気が充満していた。

菅首相の挨拶の後、要望書を揃って提出したが、冒頭から筋書きは脱線した。

「被爆者に冷や水をぶっかける発言だ。被爆者は泣いている」。「長崎の爆心地から、核兵器の

早期廃絶と核兵器禁止条約の締結」を世界に訴えた、潘基文(パン・キブン)声明や、

天野国際原子力機関(IAEA)事務局長の「長崎の約束・4項目」を踏みにじる暴挙だ。

「明確に発言を取り消して頂きたい。自民党と変わらず、民主党が見えない」などと厳しく迫った。

菅首相は、モグモグと、「一市民活動家としては、理解するが、総理は全ての国民の事に意を

配らなければならない。暴漢のピストルの前に素手で立ち向かう訳にはいかない。解って下さい」

などと小さくつぶやくに過ぎなかった。

ああ、この不幸!。長崎市長以下原爆被爆対策部の幹部職員は、冷や汗をかいたかも知れない。

ホテルの外に出ると、激しい風雨であった。

100808_1125~0001.jpg100807_1435~0002.jpg100808_1129~0003.jpg100807_1056~0001.jpg100811_0945~0001.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長の長崎訪問。核兵器禁止を声明。被爆者とも会談。 [原爆]

潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、広島原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に

初めて出席されるのに先立って、被爆地長崎を初訪問され、原爆資料館見学、

被爆者との対話、爆心地での献花と声明、朝鮮人被爆者追悼碑への献花と挨拶、

浦上天主堂でのミサ、被爆マリアとの再会と挨拶、数多くの市民や青少年との

対話など分・秒刻みの過密スケジュールを丁寧に消化され、それぞれの場所から

核兵器禁止と平和実現に向けての強固な意志のメッセージを世界に向けて発信された。

8月5日のこの日は、平和発信都市長崎は勿論、世界にとっても歴史的な日となった。

爆心地からの事務総長の声明要旨は「65年前の夏、1機の飛行機が投下した1発の

爆弾がこの街を瓦礫と化し、何万人もの命を奪った。私は、世界平和のためにここに来て、

重い気持ちで此処に立っている。この場所は、如何なる場所、如何なる人間に対しても、

この様な惨状を再び許してはならないと確信する記念碑である。

都市が連携し、市民の活動で、核兵器のない世界を目指そう。それは、実現出来ると信じる」

と結ばれた。

潘事務総長が私たち被爆者との対話の際に差し出された握手は、柔らかく包み込むような

感触ながら、その意志の強さは、見交わした目の輝きからも確実に伝わってきた。

100805_1209~0001.jpg    100805_1215~0001.jpg
100805_1226~0001.jpg    100805_1228~0001.jpg
100805_1150~0001.jpg

nice!(2)  コメント(1) 

ヒバクシャ・吉田勝二さん(78歳)を悼む。 [原爆]

長崎県立長崎工業学校造船科に在学中、13歳で原爆の熱戦を浴び大火傷にあい、特に顔面に深い傷跡を残して、差別と故なき言葉の中傷に苛まれてきた少年時代には、自殺を考えたと言うギリギリの瀬戸際から平和の発信者として立ち上がり、自らの体をさらして、原爆の無惨さと非人間性を訴え続けて来た被爆語り部吉田勝二さんが亡くなった。顕著な原爆症のガンが死因だった。個人的にも、3男が吉田さんの長男と同級生だったこともあり、幼い頃大変にお世話になった過去がある。「人の痛みがわかる心を持つこと」と訴えていた吉田勝二さんは、やはり、ピカドンに命を奪われた。改めてやすらかな眠りにつかれるよう安寧を祈る。
100403_0123~0001.jpg100403_0126~0001.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

長崎原爆被爆者慰霊平和祈念式典。被爆者団体と政党代表者との懇談。 [原爆]

被爆64年目の長崎市では、真夏の太陽が照りつける大変暑い中に、長崎原爆犠牲者

慰霊平和祈念式典が開かれた。

折しも7日から第7回世界平和市長会議が開催されており、オバマ大統領のプラハ発言

を決して孤立させないように、単にオバマ頼りに陥る事なく、世界中でこの流れを支える

「オバマジョリティ」を高揚させ、「2020ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択を実現させる

方向で一致した。

原爆犠牲者慰霊平和祈念式典には、自民麻生、民主鳩山、共産志位、社民福島と党首

が並び、公明は神崎前党首が花輪を捧げた。

田上長崎市長は、平和宣言でオバマ発言を支持し、核兵器保有10ヶ国首脳に、

長崎に来て原爆の惨状を直視するよう呼びかけた。

麻生総理大臣は、慰霊の挨拶の中で、「癒やしがたい傷跡(キズアト)」を「癒やしがたい

ショウセキ」と読み間違える失態もあった。

平和祈念式典のあと、恒例の被爆者5団体との会談では、麻生首相に笑顔はなく、

被爆者認定の僅かな前進を強調するに止まり、「非核三原則の法制化」など平和施策には、

答えなかった。

次いで、民主党の鳩山代表は、「非核三原則の法制化」についての曖昧さを突かれて、

「法制化への努力」を約束し、被爆者の要望をほぼ丸呑みした。

共産党の志位委員長は「建設的野党」にたって、平和政策と被爆者援護対策を進める事を

約束した。

特に民主党との会談は、事実上次の政権を見越した内容となった。

090809_1034~0002.jpg  090809_1159~0001.jpg
090809_1155~0001.jpg  090809_1326~0001.jpg
090809_1429~0001.jpg

nice!(0)  コメント(2) 

「被爆者との交流」―語る会―。原水禁大会のひろば。 [原爆]

被爆64周年目の原水禁世界大会長崎大会行事のうち、8月8日の分散会

「被爆者と語るひろば」として、長崎県被爆者手帳友の会平和祈念会館が

今年も会場に選ばれた。

10時の開会を前に、北海道、福島、茨城、東京、神奈川、大阪、広島、福岡、

熊本、鹿児島など、全国各地から凡そ30名を迎えた。

友の会会員の中から3名が被爆体験を語り、また、長崎放送(株)が平成11年に

収録した体験ビデオを放映し、理解を深めていただいた。

話をしながら「被爆者は毎日が原爆の日」であることを訴えると、涙する人々もいて、

ただ一発の核兵器がもたらした惨たらしさに、改めて怒りの声も挙がった。

原爆の実相を初めて見聞した教師は、子どもたちに語り継ぐ感覚をつかめたように

思うと感想を洩らされた。

090807_1202~0002.jpg  090808_1148~0002.jpg
090808_1147~0001.jpg  090808_1149~0001.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

平和の為に「長崎の鐘」を鳴らす。 [原爆]

8月6日広島原爆の日から、9日まで、平和の為に「長崎の鐘」を鳴奏する運動が

2年目となる。

もともと、長崎県被爆者手帳友の会が、毎月9の日に打鐘していたが、昨年7月に

舞台劇「長崎の鐘」の公演に伴って、「長崎を鐘が響きわたる街にしよう」との

思いがまとまり、推進団体を立ち上げた。

今年は、教会と寺院が9日に一斉打鐘する予定である。

広島原爆の日の今日は、10時50分から、主催者によるミニ集会を行い、11時02分から

32分まで、10分毎に4回打鐘した。

参加者には記念に鳴鐘証明スタンプを押印した長崎の教会群の絵はがきを差し上げ、

観光客などには喜んでいただいた。

最後に広島原爆犠牲者に黙祷を捧げ1日目を終わった。

今日の、参加者合計は約200名を数えた。

090806_1131~0002.jpg  090806_1131~0001.jpg
090806_1103~0002.jpg  090806_1103~0001.jpg

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。