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ペリリュウ島戦争犠牲者の慰霊 (5) [パラオ]

 

1944年9月、米第1海兵師団によって10日間もの艦砲射撃が続けられ、いよいよ

15日から、300隻の上陸用舟艇と28400人の米軍によって上陸総攻撃が始めら

れた。

米軍は、「早めに掃討して昼ご飯でも食べようか」との安易感があったという。

迎え撃つのは、中川州男守備隊長が率いる水戸歩兵第2連隊12、000人であった。

11月24日16時、遂に中川州男隊長は参謀本部へ「サクラ、サクラ」を打電して第14

師団から派遣されていた村井権治郎少将、飯田義栄中佐と共に古式に則り割腹自刃

したと伝えられている。

近くの大山に追いつめられた遊撃隊が27日に「玉砕」するまでの73日間は太平洋戦史

に残る凄惨な戦闘であり、米兵の戦死者8、000人は、一つの戦場における最大の

犠牲者だったという。日本軍人12、000人をあわせた2万人の戦死者でビーチは血で

染められた。

今に呼称される「オレンジビーチ」はその凄惨な歴史を現在に伝えているものである。

私のペリリュウ島への慰霊の旅は、5回目であり、島に到着後、手配の車に乗り換えて、

戦跡の要所を巡るのだが、まず総合墓地とも言える「みたまの碑」の前に線香を焚いて

ひざまづいた。

グアムで28年ぶりに発見された横井さんには及ばないが、このペリリュウでも2年後に

56名の生存者が発見されている。

なぜ、何のために、誰のために、これほどもの尊く若い命を犠牲にしなければならないのか、

戦争の悲惨さと無意味さを決してわすれずに改めて告発し追跡したい。

   

   


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日本国大使館に隣接した、パラオ・パシフィック・リゾートを常宿に (3) [パラオ]

 

パラオは観光立国で発展しており、大型ホテルが次々に開業している。

特に台湾系の進出が著しく、年間の観光客8万人~9万人のうち、台湾が

39パーセント、日本が30パーセント、韓国が15パーセントを占めているとの

ことである。

首都機能も2006年10月、コロールから国際空港があるバベルダオブ島の

マルキョク州に移転しているが、人口の圧倒的多数が居住するコロール島が

経済の中心に位している事に変わりはない。

新しいホテルの方が美しく料金も安いし利便性も高いのだが、私はやはりP・P・R

を常宿にしている。日本国大使館も敷地内にあり、何かと安心しているからである。

ちなみに、パラオの在留邦人は約300人で、永住者は、55人。 東急系のホテル

P・P・Rは、フロントも客室スタッフもレストランも免税店もプールサイドの皆さんも

顔見知りで我が家に帰ったように思う。

プライベートビーチの遠く向こうに、ココナッツアイランドが可愛く浮かんでいるのがとても

印象的である。

   

   


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南国の花に包まれ、和子の4回目の慰霊祭。パラオ「ゲルメアウス島」にて。 (4) [パラオ]

 

スピードボートをチャターして亡妻和子の慰霊の島「ゲルメアウス島」に向かった。

途中で、珊瑚礁に撃墜されたまま無惨な姿を晒し、64年を数える「ゼロ戦」の残骸に、

ボートを停め周りを緩やかに回って瞑目した。

慰霊の島は、台風の被害だったのだろうか、砂浜がずいぶん痩せ細っていたが、

4年前に散灰した場所だけは、変わりなかった。

今朝摘んできたばかりの、朝露が残る鮮やかな色とりどりの南国の花を敷きつめて

祭壇をつくり、長崎から持参したロウソクを灯し線香を焚き、この島で、時を忘れて楽しん

だ和子の在りし日を想起し、しばし瞑目し合掌した。

1年半前にも同行した姉キヨミも涙してくれた。

散灰して満4年、4回目の慰霊祭を無事に終え「来年また来るからね」と心の中でつぶやき、

花びらを引き潮に流したが、いつものように長い間波間を漂った。

寄せては返し広がっては集まる花々に哀切さを感じて何時までも佇み、静かに手で掬って

波に乗せた。

行きつ戻りつするこの花弁には、きっと和子の魂が乗っているのに違いなかった。

   

   


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訪れる度に変貌するパラオ。変わらぬ友情。 (2) [パラオ]

 

コンチネンタル・エアラインズで降り立った空港は、訪れる度に少しづつ改善されている

のが目に見える。素朴さが近代化されているのである。

ほぼ定刻に到着、現地旅行社より先に「兄貴、待っていたよ」と、友人ケルビンの逞しい

顔が見えて、何時もの様に万端の受け入れである。

まず友人・知人の動静を聞く。彼の母イワセイさんが昨年2月19日に亡くなり、その後に

元国会議長のピーター・杉山氏も亡くなったという。親しかった友人の死を悼む。

チャーター船の都合で、ゲルメアウス島とペリリュウ島慰霊は、15日に先送りして14日は、

カープアイランドなどにした。

ここのオーナー岸川 至氏(伊万里出身・二世)はかって大統領の経済顧問として、「パラオ

全島を世界遺産にしなければ」と熱弁を振るって語ったが、今は仕事を子どもたちに任せて

悠々隠居中とか。

パラオは、今年は大統領の変わり目の選挙、来年は、自由連合国アメリカからの経済援助が

切れる15年目の節目の年を迎える極めて重要な時期にあり、平和運動の組織も世代交代・

再編を模索中の様である。

   

   


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パラオへ慰霊の旅。グアム乗り換えの退屈。 (1) [パラオ]

 

「非核憲法」を制定したパラオ(べラウ)には、かって日本原水禁からの視察団が、

毎年のように派遣され、また、べラウの代表団を広島、長崎の原水禁世界大会に

招待するなど、南太平洋に大小400近くの島々が散在するこの海洋国は、平和運動

の先駆的地域として学びの場であった。

その運動の中心には、民主的な組織「キッタレン」(心一つにの意)の存在があった。

反動的な勢力は、何回も何回も憲法改悪を目論んで住民投票に持ち込んだが、4分の

以上条項をキッタレンが守りぬき改憲を許さなかった。

しかしその後、独立して国際社会への参加を目指す合理的選択が図られ、アメリカ

合衆国との自由連合国の道を選び、1994年10月1日に独立し、国連に加盟した。

現在は人口19、000人のこの国を、かつては日本が占領し、1914年以来31年間

統治していたが、太平洋戦争の激戦で遂にアメリカに明け渡し、今なお無数の遺骸が

残されたままである。

また個人的には、この、碧くて、広い、豊かな海をこよなく愛した、亡妻和子の遺骨の

一部を散灰しており、慰霊の意味もあって、毎年のように訪問し、「玉砕の島ペリリュウ」

などを巡って、将兵自決の洞穴や慰霊碑や日本人墓地などに花と線香を手向け続け

ている。今回は、9回目の旅である。

グアム経由の旅程は、乗り換えに4時間もの待ち時間があり退屈するが、空港内の 

レストランで日本食の「おにぎりやうどん」などを求め、散歩やウインドショッピングで紛らし、

21時頃にはパラオ空港で待ち受ける友人との再会を楽しみに時間を過ごす。

   

   


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