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「廣瀬 方人さん」(85)ご不幸。正に巨星落つ。

「ヨゼフ廣瀬方人さん」(85)が闘病の甲斐無く、85歳の生涯を閉じられた。「巨星落つ」・・被爆者援護や平和運動に関わっている全ての仲間や後輩たちが抱いた率直な思いであったろう。長崎原爆被爆者であった廣瀬方人さんは、同志社大学在学中から、学内で原爆写真展を開くなどいち早く平和活動に取りくまれていた。私は、廣瀬先生が英語教師として初めて県立長崎工業高校に赴任された1952年(昭和27年)には、電気科2年生であり、生徒会議長として、また、廣瀬先生が顧問となられた文芸部員として直接の指導を受けた。「くさぶえ」から「希望」に名称を変えたガリ版刷りの文芸誌の創刊号と第2号が私の手元にある。1月15日にカトリック城山教会で行われた告別式で拝見した先生の白いシャツ姿の遺影は、64年も前に颯爽と私たちの前に現れ積極的に指導された当時を彷彿させるフレッシュさそのままであった。長崎の平和運動に深く関わられ、常に先導された。晩年は、健康を損なわれた上に、ご夫人の介護という困難の中で、これまでの諸活動に加えて、2013年2月に「福島と長崎を結ぶ会」を、10月には「長崎原爆の 戦後史をのこす会」を発足させ、その一員に加えて頂き、任務分担を引き受けたばかりであった。とりわけ、県立南高校で指導を受けられて以来、死の直前まで長く深い信頼感で結ばれていた「平野伸人さん」の弔辞には、心うたれた。時代や深さは異なっていても同じ教え子として、廣瀬方人先生の遺志は必ず引き継ぐ決意でいる。既に生前「福島と長崎をむすぶ会」の共同代表は引き受けている。廣瀬方人先生の一途で真面目な生き方は、やはり敬虔なカトリック信者としての揺るぎなきバックボーンに支えられていたのであろう。死をおそれず達観したかのように、「終活」された廣瀬方人先生のやすらかなお眠りを祈る。(長崎県被爆者手帳友の会会長・井原東洋一)
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